Collection所蔵品紹介国宝絵画彫刻刀剣・金工陶磁器漆芸書跡・典籍その他彫刻重要文化財慶派 十二神将立像 子神像鎌倉時代・安貞2年(1228)頃 木造彩色かつて京都・浄瑠璃寺に祀られていた、慶派仏師による「十二神将立像」のうち子神像。玉眼を用いるなど、慶派仏師の迫真的な表現が見どころ。重要文化財慶派 十二神将立像 丑神像鎌倉時代・安貞2年(1228)頃 木造彩色かつて京都・浄瑠璃寺に祀られていた、慶派仏師による「十二神将立像」のうち丑神像。頭部に小さく干支の彫刻を施している。重要文化財慶派 十二神将立像 寅神像鎌倉時代・安貞2年(1228)頃 木造彩色かつて京都・浄瑠璃寺に祀られていた、慶派仏師による「十二神将立像」のうち寅神像。右手で独鈷杵を振り上げる。重要文化財慶派 十二神将立像 卯神像鎌倉時代・安貞2年(1228)頃 木造彩色かつて京都・浄瑠璃寺に祀られていた、慶派仏師による「十二神将立像」のうち卯神像。当時、十二神将像は薬師如来の守護のため造像された。重要文化財慶派 十二神将立像 午神像鎌倉時代・安貞2年(1228)頃 木造彩色かつて京都・浄瑠璃寺に祀られていた、慶派仏師による「十二神将立像」のうち午神像。頬杖をつくポーズで、その表情は奥ゆかしい。重要文化財慶派 十二神将立像 酉神像鎌倉時代・安貞2年(1228)頃 木造彩色かつて京都・浄瑠璃寺に祀られていた、慶派仏師による「十二神将立像」のうち酉神像。右手を突き上げ、口を開きつつ顔を見上げる。重要文化財慶派 十二神将立像 亥神像鎌倉時代・安貞2年(1228)頃 木造彩色かつて京都・浄瑠璃寺に祀られていた、慶派仏師による「十二神将立像」のうち亥神像。腰を入れた独特のポーズで、矢の通りを見ている。重要文化財康円 木造広目天眷属立像鎌倉時代・文永4年(1267) 木造彩色広目天に従い仏法護持を司る眷属像で、運慶の孫にあたる康円の作。奈良に所在した内山永久寺に安置されていた。 金剛観世音菩薩立像北魏時代・正光2年(521) 金銅、鋳造亡き父母を弔うため造られた金銅仏。天衣の造形、下腹部を出す姿勢など正光年間(520〜25)の典型作と知られる。 能面 翁(福来)室町時代(16世紀) 木彫彩色「翁」の専用面で、演者は舞台で翁面をつけることで、神と一体化する。「へ」の字形の目の穏やかな老人のお顔をしている。 能面 万眉(杢)江戸時代(18世紀) 木彫彩色若い女性を表す「小面」に比べて妖艶豊麗な印象を与える女面で、妖怪や鬼が化けた女性役に使用される。 伎楽面 酔胡従年代不詳 木彫彩色伎楽に使用する面で、「酔胡従」は「酔胡王」に従う家来のこと。表面の彩色は後補で、本来は赤ら顔で表現される。加納鉄哉 毘沙門天面(模古作)明治時代(19~20世紀) 木彫彩色明治期に活躍した加納鉄哉(1845~1925)が法隆寺献納宝物に含まれる「呉公」を模したと思われる作。大熊氏広 岩﨑彌之助像明治29年(1896) ブロンズ近代彫刻の先駆者といわれる大熊氏廣(1856~1934)による「岩崎彌之助像」。氏廣は「岩崎彌太郎座像」なども制作している。新海竹太郎 岩﨑彌之助像大正2年(1913) ブロンズドイツで古典主義的彫塑を学んだ新海竹太郎(1868~1927)による「岩﨑彌之助像」。新海は、本作制作の4年後、帝室技芸員に任命されている。所蔵品紹介TOPへ