経済的な分野のみならず、芸術文化の支援によっても日本を支えたいと願った静嘉堂の創始者、岩﨑彌之助(1851-1908・三菱第2代社長)と岩﨑小彌太(1879-1945・三菱第4代社長)父子が蒐集した古典籍・美術コレクションには、彼らと同時代の、近代の作品も多く収蔵されています。
本展では明治の美術品を中心として、近代絵画で初めて重要文化財の指定を受けた橋本雅邦の「龍虎図屏風」を含む、第四回内国勧業博覧会(明治28年〈1895〉開催)出品の屏風の数々、修理後初公開となる河鍋暁斎の代表作「地獄極楽めぐり図」の画帖、そして当時の洋画界で、“裸体画論争”に及んだ、わが国“ヌード”の先駆的作品、黒田清輝「裸体婦人像」など、話題の名品が公開となります。
また今日“超絶技巧”とも称され、人気の高い明治工芸品からは、刺繍・金工・七宝・漆芸・陶磁器、それぞれ名工の“力作”が並びます。
今日に伝えられた明治の美と技の世界を、緑眩い静嘉堂の100年の杜の中で、どうぞ心ゆくまでお楽しみください。
近代日本美術に大きな足跡を残した画家、黒田清輝(1866-1924)がフランス留学中に描いた裸婦像。本作は第6回白馬会展(1901)に出品されたが、裸体画は公序良俗に反するとして、下半身を布で覆って展示されるという、いわゆる「腰巻事件」を引き起こした問題作でもある。岩﨑家に購入され、高輪本邸のビリヤード・ルーム(当時イギリス上流社会のしきたりでは女性の入らない「紳士たちの集う部屋」でもあった)に飾られていた。
謡曲「羽衣」と「鞍馬天狗」の舞姿を、写真と見えるほどにリアルに縫い表した超絶技巧ともいうべき作品。それぞれ紅葉と桜花を描いた豪華な蒔絵の額に入った寸法は、何と、縦190㎝センチを超える。刺繍家・菅原直之助(1871-1942)の名作。岩﨑彌之助の謡の師、初代・梅若実や万三郎の舞姿を、写真も参照して制作されたもの。これらの刺繍は、客人を大いに驚かせたことであろう。
江戸に生まれた幕末明治の画家、菊池容斎(1788-1878)は、“歴史画”の大家。彼が上古から南北朝に至る主要人物571人を収録した図入り列伝『前賢故実(ぜんけんこじつ)』全10巻は、後世に大きな影響を残し、その功績は「近代日本画の祖」と評されるほど!
本図は中国・漢の高祖の皇后・呂后が、夫の死後、寵妃・戚夫人を捕らえ、腕や脚を切り落とし「人ブタ」と名付けて辱めたという『漢書』外戚伝の逸話を、異時同図法にて描いたもの。いわゆる“怖い絵”ながら、中国の史実に通じた名画、しかも超大幅(本図寸法は縦2m超)!
狩野派の筆法から浮世絵、狂画まで全般に通じた、自称“画鬼”、河鍋暁斎(1831-89)の傑作とされる画帖。この画帖は、暁斎の大の贔屓だったという日本橋大伝馬町の大店、小間物問屋の勝田五兵衛が、14歳で夭折した娘・田鶴(たつ)を一周忌で供養したいと、暁斎に制作を依頼したもの。娘が極楽往生するまでの旅の様子を、優雅で丁寧な筆致で表したユーモアにも溢れる作品。
本図中、田鶴は菩薩・天女たちと楽しそうに「はしご登り」を見物!
※場面の展示替があります。
(左隻:虎図)
(右隻:龍図)
橋本雅邦(1835~1908)の代表作として知られる本作は、明治28年(1895)、京都で開催された「第4回内国勧業博覧会」の出品作。この博覧会では岩﨑彌之助が、屏風絵制作に出資。当時一流の日本画家たちが10双の屏風を出品した。(うち8双が現在、静嘉堂に現存)
雅邦は水墨画の「龍虎図」の伝統をふまえ、そこに西洋画風の奥行きを表現、濃彩や金泥といった華やかさを加味した新たな「龍虎図」を創出している。当時はその斬新さから腰抜けの虎などと酷評もされ、賞も逃したが、昭和30年(1955)、明治期の日本画革新の記念碑的作例として近代絵画で初めての重要文化財に指定された。
(左隻)
(右隻)
本作も、第4回内国勧業博覧会の出品作。“(曾我)蕭白(1730~81)の再来”とも称される、鈴木松年(1848~1918)の大作。描かれるのは9人の仙人(あるいは、うち仙人が8人)。口から分身を吹き出す李鉄拐、葉蓑をまとう神農、ほかに蝦蟇仙人、鯉に乗る琴高仙人などが強烈な筆致で描かれる。
濤川惣助(1847-1910)は、東京を中心に活躍した七宝家で、色釉の境界となる植線を最終段階の焼き上げでとり外す「無線七宝(省線(しょうせん)七宝)」の技術を開発し、釉のぼかしを生かした絵画的表現を可能とした。四季の花々を描く、この上なく洗練された下絵は、渡邉省亭(わたなべせいてい)(1852~1918)によるもので、日本の工芸意匠をより絵画的に、高尚なものにすべく努めた明治政府の意図とも合致した七宝の逸品。
海野勝珉(1844~1915)は、明治を代表する彫金家。水戸金工伝統の色金を多用する象嵌色絵技術を得意とした。
本作は、興福寺に伝わるかの有名な鎌倉時代の彫刻国宝「天燈鬼・龍燈鬼立像」(運慶の子・康弁作の像と伝わる)に基づき、小型に制作した青銅製の置物で、中央の「鉄鉢鬼」は勝珉の独創で加えて香炉に作られた。静嘉堂文庫の二階に、調度品として飾られていた作品。
明治37年(1904)、米国セントルイス万国博覧会に、日本から企業の部で日本郵船会社(現 日本郵船株式会社)は船舶模型や航路図を出品。その出品区に、二代川島甚兵衞が、休憩室「若冲の間」を設け、壁面全体に10点の綴織の壁飾り(原画:伊藤若冲「動植綵絵」)を展示して大きな評判を呼んだ(しかし会終了後、作品は米国内の事故で焼失)。
本展では、技術伝承事業として(公財)日本伝承染織振興会から依頼を受けた(株)川島織物セルコンが近年再現した「池辺群虫図 綴織額」と併せて、万博当時に製作された「模写画」「織下絵」(1902年頃・奥田瑞寛、ともに川島織物文化館蔵)を特別公開。当時の驚きの技術と制作工程が分かる。
明治に若冲作品の織物があったとは!
会期:2018年7月16日(月・祝)~9月2日(日)
休館日:月曜日(ただし7月16日は開館)
サマータイム開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料:一般1,000円、大高生700円、中学生以下無料
※団体割引は20名以上
※リピーター割引:会期中に本展示の入館券をご提示いただけますと、2回目以降は200円引きとなります。
展示内容・作品について担当学芸員が解説します。(展示室または地階講堂〈パワーポイント使用〉にて)
午前11時から 8月25日(土)・9月1日(土)
午後2時から 7月26日(木)・8月9日(木)・8月16日(木)