2020年、いよいよ東京でオリンピックが開催されます。この大イベントを控え、改めて日本と海外との交流の歴史を、本を通して振り返ってみようという展示です。
周囲を海に囲まれた国、日本。しかし、この列島はその長い歴史を通して他国との往来が途絶えたことはありませんでした。日本文化の根幹を成す漢字・仏教なども、言うまでもなく“外来文化”でした。日本の歴史と文化は、絶え間なく続けられてきた海外との交流の中で育まれてきたものと言えるでしょう。
古代以来、我が国の文化は大陸や半島の影響を大きく受けてきました。更に江戸時代には西洋からもたらされる情報も大きな力を持つようになりました。では、それらの交流は、どのような形で本の中に現れているのでしょうか。
本展では、日本の歴史と文化の基層を成す海外との多彩な交流の姿を、さまざまな書物の中で辿ります。
「南華真経」は、中国古代の思想家、荘周の著作『荘子(そうじ)』の別称。日本でも14世紀前半頃には、好ましい書物の代表として考えられていた。本書は『荘子』の注と疏(注の注釈)を合わせたもので、南宋時代(13世紀)に刊行され、鎌倉時代後期(13世紀末~14世紀初)頃日本に舶載されたと考えられている。多くの和漢の書籍を蒐集した北条実時(さねとき)(義時の孫、1224-76)が創設した金澤文庫(現在の神奈川県立金沢文庫の起源)に納められていた。北条氏滅亡後、多くの蔵書が流出し、現在、その内の何点かは複数の図書館の所蔵となっている。本書は既に中国では散逸して存在せず、1884年、この本を底本にして覆刻本が作られ、清国駐日公使館から刊行された。※本書は、徒然草の文中に紹介されている貴重書です。静嘉堂所蔵の重文『徒然草』(複製版)を参考展示しますので、お手に取ってご覧ください。
太陽や月、地球などの天体から、雪の結晶、ボウフラ、蟻などの顕微鏡下の世界まで、一部木版の他は全て銅版画で制作した上に彩色を施したもの。これらの図は、イエズス会士アタナシウス・キルヒャーの『地下世界』(1665年)や解剖学者ヤン・スワンメルダムの『昆虫学総論』(1669年)などの洋書の図が基になっていることが指摘されている。「ヲルレレイ」は、太陽を中心に置き、球面上に恒星や星座、赤道や黄道などを表示している機器。当時、これはポーランドのニュートンが制作したものと認識され、司天台(現在の天文台)にも設置されていた。
司馬江漢(1747-1818)は洋風画家、蘭学者。始めは漢画、浮世絵師として活躍したが、やがて西洋画に興味をもち、洋書を基に蘭学者たちの協力を得て、1783年、日本で初めてエッチングの制作に成功した。
イソップ物語の翻訳物語本。『イソップ物語(イソポス寓話集)』は16世紀後半、宣教師により伝えられ、日本語に翻訳された。まず、文禄2年(1593)に宣教師向けにローマ字口語体の『イソポのハブラス』(イソップ物語のラテン語書名)が刊行されたが、キリスト教弾圧により一般に広まることはなかった。それとは別に、江戸初期から、『伊曽保物語』が刊行された。この本は当時から人気があり、10種あまりの版種が確認されている。中には「兎と亀」のように、日本の昔話へと変化するものもあった。内容は主人公伊曽保の伝記と教訓を主とした短編寓話集である。この本は子供たちへの教育書として、以後広く普及していった。
活字本として日本で初めて刊行された英和辞典。ペリー来航による日米和親条約締結(1854年)後の社会情勢に対応するために洋書調所の教官たちにより作成されたもので、収録語数約35,000語。初版は200部刊行された。編者堀達之助は幕末の阿蘭陀通詞(オランダつうじ)のち英学者として活躍した人物である。安政6年(1862)蕃書調所(ばんしょしらべしょ)翻訳方、文久2年に洋書調所教授方となり、本書を刊行した。蕃書調所とは、嘉永6年(1853)のぺリー来航を契機に幕府が設置した洋学研究教育機関である。本書は蘭学研究の成果を英学へ継承した業績として大きい意味を持つ。また明治21年(1888)、ウェブスター大辞典を基にした辞書が作成されるまで英語辞書編集に影響を与えた点も見逃せない。
会期:2019年6月22日(土)~8月4日(日)
休館日:毎週月曜日 (但し、7月15日は開館)、7月16日(火)
開館時間:午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
入館料:一般1,000円、大高生700円、中学生以下無料、障がい者手帳お持ちの方および同伴者1名700円
※20名様以上の団体は200円割引