修理助成:公益財団法人三菱財団
協力:国立能楽堂
日本文化を代表する古典芸能、能楽。江戸時代には武家の式楽(儀式などで用いられる楽)となり、特に大名家と密接な関係を持つようになったのは大きな特徴といえるでしょう。この能楽を、謡(詞章)と共に支えているのが、多彩な能面の数々です。
本展では、静嘉堂所蔵の越後国新発田藩主溝口家旧蔵能面コレクション67面を岩﨑彌之助購入後、120年を経て初公開致します。貴重な面を守る面袋、それらを納める面箪笥、全てが揃った奇跡のコレクションです。秋のひと時、大名家秘蔵の能面にゆっくり向き合ってみませんか。能に関わる美術品や本も展示。能の魅力を幅広くお伝えします。
また、明治を代表する彫刻家、加納鉄哉(1845-1925)の模刻による伎楽・舞楽面も登場。迫力ある木彫面も併せてお楽しみください。(一部、展示替えを致します)[展覧会図録刊行]
※国立能楽堂9月2日公演「安達原」(シテ観世喜正)で、静嘉堂所蔵の能面(曲女<曲見>(しゃくみ))が使われました。静嘉堂での初公開に先んじて最高の能舞台でのお披露目。「曲女」面は、本展で展示致します。
本展では10月13日から10月31日までの期間に限り、展示作品全点撮影可能となっております。
なお、ラウンジの展示作品は会期中の全期間撮影可能です。
※撮影時は周囲の状況を確認し、他のお客様の鑑賞ルートを妨げない、周囲にシャッター音を響かせない等の配慮をお願いします。
※フラッシュ・自撮り棒・三脚の使用はご遠慮ください。
溝口(みぞぐち)家
越後国新発田藩主。慶長3年(1598)、溝口秀勝(1548-1610)が新発田藩6万石の初代藩主となった。3代藩主宣直(1605-76)の頃から能に親しみ、特に4代藩主重雄(しげかつ)(1633-1708)の頃には、国元の城内や下屋敷で盛んに能が上演された。江戸末期には分家池之端溝口家8代当主直清が安政3年(1856)浦賀奉行、同6年外国奉行として活躍。万延元年(1860)、11代藩主直溥(なおひろ)の時、10万石となり維新を迎えた。明治17年(1884)直正の時、伯爵叙爵。なお、10代藩主直諒(なおあき)(1799-1858)の孫董子(ただこ)(直溥の養女)は、熾仁(たるひと)親王妃となっている。
鎌倉時代には既に使われていたといわれ、神に天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈願する祈りの舞にのみ使用される専用面である。この面の特徴は顎の部分が紐で結び付けられる「切り顎」になっていること。長い顎髭は長寿を象徴している。
若い女性を表す女面の一種。「小面」(こおもて)と称せられる面に比べ、より妖艶な雰囲気をもつ女性を表す。面の裏には「萬媚/化生(けしょう)」と刻まれている。
鬼面の一種。「べしむ」とは、口の両脇にギュッと力を入れて口を引き結ぶこと。天狗や地獄の鬼神などを表し、魔性のものの強さと共に滑稽さも含んだ面である。
能面67面を収納している専用の箪笥。全部で4棹あり、全面黒漆塗り。各抽斗(ひきだし)には収納されている能面の名称が記されている。箪笥は背後が蝶番で繋がれ、左右に180度開くようになっている。
天明8年(1788)の奥書を持つ能面の目録。4棹の面箪笥それぞれに収納されている能面の名称が記載されている。
ここに記されている67面の能面は、全て記載通りに箪笥に納められ、現存している。(※印の行に「六拾七枚」とみえる)
謡本を収納するために制作された提(さ)げ箪笥。外側の各面と扉裏には、黒漆地に金と銀の平蒔絵で撫子・よめな・薄を描き、螺鈿と金貝(かながい)(金属の薄板で文様を表す技法)を用いて観世流謡曲百番の曲名を散りばめている。書風は本阿弥光悦(1558-1637)風であり、光悦が版下製作に携わったとされる嵯峨本(17世紀初頭に作られた古活字本の一種)の謡本を収納したものと想像される。
藍染紙の表紙や見返しに曲の内容に因んだ絵が金泥で描かれ、表紙中央には曲名が5番ずつ書写された題簽が貼付されている。曲の組み合わせから見て、観世流ワキ方筆頭の流派であった進藤流の謡本と思われる。進藤流謡本は江戸初期には数多く出版されている。寛永文化の華やかさを伝える豪華本である。
能「鞍馬天狗」で、源義経に兵法の奥義を伝えて平家を滅ぼす約束をする大天狗の威容を、刺繍のみで表現した大作。その大きさは、畳1畳分にもなる。静嘉堂の創設者・岩﨑彌之助は、明治33年(1900)2月から、初代梅若実(1828-1909)について熱心に謡を習っていた。「鞍馬天狗」の難しさに四苦八苦したという資料も残っている。本作品は、彌之助が当代の名人菅原直之助に依頼して制作させた刺繍額。この他にやはり菅原による「羽衣」「翁」の額が現存している。
伎楽とは、7世紀初め頃中国から日本に伝えられた仮面舞踊劇。伎楽面はその劇で使用された仮面である。現在、伎楽面の主要な遺品は法隆寺関係と東大寺関係に大別されるが、善因童子面は東大寺に関わるもの。本面は、明治を代表する彫刻家、加納鉄哉(かのうてっさい)(1845-1925)が模刻したものである。